加藤楸邨という人!

作品社の「日本の名随筆」シリーズは1980年代のものらしい。落ち着いた装丁と函入りの仕様はかつて、どこの本屋でも、どこの図書館でも見かけたものだった。各巻一テーマ、本巻は漢字一文字のテーマ、別巻になると漢字二文字がテーマになる。

本巻第3巻のテーマ「猫」を阿部昭が編集した。当時にあってはベストな人選だったのだろう。阿部昭といえば、湘南と猫なのだから。

そのうちのひとつに、

・加藤楸邨「四十番地の猫」

がある・・・・

* *

ご主人は呆然としている。

いましがた読んだ一節はこんなふうに書かれていた・・・・

私は

「しろ、しろ」

と呼んでみた。私がこんな調子で猫を呼んだりすることは妻には異様に感ぜられたらしく、黙って立って見ていた。予期に反してしろの目は敵意らしい光を示した。横目でじっと私をうかがっていたが、私が一歩近づくと、すっくと身を起こして凝視を強めて来た。私もぐっと反撥を感じて覚えず睨みつけた。私の視線をそらそうともしないしろの、まったく私を撥ねかえすような煌々たる目付を見ると、腹の底から憎しみがこみあげて来た。雪明りの塀の上をゆっくり歩いてやがて走り去ったしろのうしろを睨み据えていたが、しろが見えなくなった雪明りを意識の縁暈に感じながら、不思議な気の衰えを感じた。

なんだろう、この憎しみとは!

しかも、普段は子煩悩で温厚らしいこの「私」の、このような異様な様子を察知した「妻」になだめられても

私は、今は憎む理由はないという気持になっていたが、あの、人を容れない執拗な、陰鬱を極めた目付を思い出すと、やはり許せない気もしていた。

とまで言い募るのだ!

もはや、猫を人間あつかいするどころのさわぎではない。猫は人間と対等、それどころか、もはやその存在そのものが人生の仇とまで格上げされているではないかっ!

俳人の感受性というのは、ここまでのものか!

この感受性が彼らをして、あらゆる季節の、あらゆる人生の、あらゆる機微をあの五七五の片言のなかに凝縮せしめるのかっ!

・・・・

いや・・・・

まてよ・・・・

ひょっとしたらただの・・・・

ガンつけ、じゃね?

(しかも、猫と・・・・)

ご主人はそっと、書物を閉じた。