「別れる理由」と「ヱヴァンゲリヲン」

この夏、思うところがあって調べてみるうちに、最初に目についたのが、安岡章太郎「海辺の光景」であった。これはかつて読んだことがあったはず、ところがそのかつて読むことになった経緯ばかり覚えていて、内容のほうはまったく覚えていない。母親を精神病院へ、そんな話だったっけな?

そこで、安岡を読み、そして、そのかつての安岡を読む経緯となった、江藤淳「成熟と喪失」を読みはじめたわけだ。江藤はこれをどう評していたのだったか、と。

そこで、60年前の江藤淳を読みはじめてみると、江藤が論じる、この文章を書く筆者であるわたしのほぼ父親世代の作家たち(たとえば、三浦朱門はわたしの父と旧制高校の同窓であったはずだ。もっともこの著作で江藤は三浦を取り上げてはいないけれど、三浦も「第三の新人」の一人であった)への批評に、なにか身につまされるような思いを抱いたのだった。その思いは江藤の論旨とはまったく無関係だったかもしれないけれど・・・・。

とまれ、江藤が安岡を論じるパートは最初の五つの章のみ、以降、本編の大半(VI章からXXIII章まで、全35章のうち18章分)は、小島信夫の「抱擁家族」にあてられる。そして、小島の「抱擁家族」がよく読まれたのは、むしろ江藤がそれを彼の「成熟と喪失」の本編の大半で取り上げたから、というのもよく知られた話である。

かくいうわたしも、かつてそのために安岡の「海辺の光景」を読んだのと同じように、江藤淳の「成熟と喪失」を読むために小島信夫の「抱擁家族」を読みはじめたはずであるが、安岡のと同様、小島のこれ「抱擁家族」もさっぱり覚えていなかった(彼らをはじめて読んだのは20代の後半だったろう、90年代であったと思う)。ひょっとしたら最後まで読み切らなかったのかもしれない。「アメリカン・スクール」は読んだはずだ・・・・けれど、こちらもこの機会に読みなおしてみて、まったく覚えていなかったのだけれど・・・・。

そんなわけでこの夏、江藤淳「成熟と喪失」を読みながら、どうじに、「第三の新人」たちの著作をいくつか読むことになったのだが、そこで思い出したのは、そういえば柄谷行人にも「小島信夫論」があったということ。わたしの数少ない蔵書を繰ってみると、それは

・柄谷行人「隠喩としての建築」

の中にあった。初出は1981年、「新潮現代文学37巻小島信夫」の解説として書かれたものだそう。のちに大江健三郎をアレゴリー作家と評した柄谷なら、小島をもそう呼んでよかったかもしれないが、この解説にはカフカの名前こそ出てくるもののアレゴリーという言葉はない。かわりに「オカシサ」という言葉があった。もっとのちの柄谷なら、「ルネサンス的」と言ったかもしれない・・・・。

ここで柄谷の「小島信夫論」について云々したいのではない。むしろ問題は、それに続いて掲載されている同年の柄谷の短い文章「内輪の会」である。

この文章の中で柄谷は「柄谷行人」が登場するという小島信夫の連載小説「別れる理由」のことに触れているのだ。そのことをわたしが気にしたのは、

・坪内祐三「「別れる理由」が気になって」

が最近、講談社文芸文庫にはいったことを知っていたからである。そんなわけでわたしは、坪内「「別れる理由」が気になって」を気にしはじめることになった。

近所の有隣堂を訪ね、坪内の新刊(というのかな、2005年の単行本の文庫版)を、その最初の部分を立ち読みしてみる。いつもの坪内節、わたし語りは面白そう、しかし、面白そうだからこそ、これなら読み飛ばせばよい、だから買うまでもなかろう、せいぜい図書館で借りることにしよう、坪内も図書館をよく利用した人だったはずだから、読者にそういう人がいるのは本望だろう、そう思ったのだった。

そして同じフロアの新書棚をそぞろ歩きする。すると、黒地に白抜きででかでかと「成熟」「喪失」という表紙の本が平積みになっているのに気づいた。最近の”帯”ってのは、表紙全体を覆うのか・・・・ちょっとした苛立ちが鼻歌をさそうのは、

・佐々木敦「成熟の喪失 庵野秀明と〝父〟の崩壊」(朝日新書)

手にとってまえがきや目次をパラパラ見てみると、アニメ作家の庵野秀明とその代表作「ヱヴァンゲリヲン」を論じるのが主題で、そのために江藤淳の「成熟と喪失」というフレームワークが参照されているらしい。「ヱヴァンゲリヲン」なら、たしか2010年代に劇場用のものを2作くらい見て(たしか国際線のエコノミー席で見た)、90年代後半にテレビ放映されたというそれも、アマゾンだかなにかで第一話から最終話まで見たはずだったけれど、結局、神様が人類を滅ぼそうとしているのに必死に抵抗している人類、つまり人類の側からいえば、人類の敵が怪獣ではなくて、神様だってこと(でしょ?)に新鮮味をおぼえたことを覚えているくらいで、それ以外のストーリーはすっかり忘れていた(ストーリーってほどのものはなかったのか?)。

そんなわけでもちろん、こういうものをあえて買うまでもなかろう、と見送ったのだった。なにせお目当てだったはずの坪内も見送ったくらいなのだから・・・・。

そして、江藤淳「成熟と喪失」を読み進みながら、本屋に行くたびに、新書棚の前に来ては、佐々木敦「成熟の喪失」は目にしていたのだった(もちろん、買わない)。

ところで、わたしは「ただ」の本は好きなので、出版社のPR誌(こういう雑誌の分類は坪内の本から知ったのだったと思う)はいつも気にしている。よく読んでいるわけではないけれど、「ただ」ならもらわぬ道理はない(おおむね、どこでも「ただ」で配っているけれど、ほんとうは「ただ」ではないらしい、実際神保町の東京堂書店では定価で売っていたはずだ、とはいえ)「ただ」ならむしろもらわねば損という、しょせんはそんなしみったれ根性である。これは「第三の新人」世代の父親がそうしていたのを真似してはじめたのだった。

朝日新聞社「一冊の本」はずいぶん前に終わっちゃったし、講談社「本」も同様(ただ、魚住昭が書いた講談社新書相創刊60周年「新書へのとびら」は「ただ」でも読みごたえがあった)。新潮社「波」は健在、でも筒井康隆の巻頭エッセイはどうなるだろう、川本三郎の「荷風連載」も終わっちゃったし。そういう意味では、岩波書店「図書」は安定している(が、書き手は知らない人が多い)。

そんな「ただの」PR誌でも、集英社の「青春と読書」を手にとることはほとんどない。理由は単純、ずっとまえからわたしはすでに「青春」ではないから。「青春」でないひとが、「青春」と書かれた書物を「ただ」でもらうのは、遠慮するべきだった。

それなのにこの夏、なんの拍子にか集英社の「青春と読書」を目にすると、表紙の下半身にある、記事の紹介に目をやったことがあった。

そこで、佐々木敦という人が連載を始めたことを知ったのだった(もちろん、この人の名前は以前から知ってますよ、「ニッポンの思想」は半分くらいは読んだし)。日本のサブカル、というより、端的に音楽と映画だろう、それらを世界に、ってのはつまり、アメリカに売り出そう、できるはずだ、こうすればよい、という趣旨の連載らしい。

その連載第二回で佐々木は韓国のアイドルグループがアメリカで売れたことを取り上げて分析するのだけれど、音韻論(というのかな?)あたり、なるほどと思わされると同時に、ちょっと不満も残った。というのも、韓国ポップスが世界的に売れていることを知ったとき、わたしがまず思ったのは、それはなにを措いても「江南スタイル」の貢献だろう、ということだったから。PSYという韓国人コメディアン=ミュージシャン(バークリー音楽院に行っていたというのだから)がまずは世界の壁を突破し、韓国語を世界に受け入れさせる下地をつくった、その後のK-POPは、そして映画も、その下地を辿って行ったのだ、というのが持論。そんなことを身近の若い知り合いに話したことがあったのだけれど、この意見に与してくれる人は、いまのところ、だれもいない。佐々木もそんなことは一言も、PSYには一言も、触れていない。

だからむしろ、とわたしは、この人の本を読んでみようと思ったのだった。そしてやっと、

・佐々木敦「成熟の喪失 庵野秀明と〝父〟の崩壊」(朝日新書)

を買った(図書館にはまだ置いてなかったから、でもあった)。ちょうど江藤淳「成熟と喪失」を読み終えたタイミングであり、これに関連するなにかを読んでみたかったという理由もあった。

庵野秀明は「ヱヴァンゲリヲン」を完結させることによって「成熟」なる主題から解放された、そのことは「シン・仮面ライダー」に「成熟」の主題がないことによって明らかだ、そして、いまを生きる佐々木自身にとっても(読者にとっても、ってことだろう)「成熟」という主題は必要ない、そんなことが書いてあったと思う。

肝心の江藤淳については加藤典洋の引用が目についた程度(そういえば「ゴジラ論」は以前読んでいた)、佐々木は平山周吉「江藤淳は甦える」も参照しているけれど、「成熟と喪失」と同時期に書かれた「一族再会」に触れていないのは不思議であった。私見では、「成熟と喪失」の批評スタイル、そのモチベーションが「一族再会」に描かれているのだから。しかし、佐々木は「成熟」にこだわるとはいえ、「母」にこだわっているわけではないから、「一族再会」に触れないのは当然といえるかもしれない。

佐々木を読み終えたのがちょうど、わたしがよく使っている図書館に

・坪内祐三「「別れる理由」が気になって」(講談社文芸文庫)

が返却されているのを知ったときであった。頻繁に利用するいくつかの図書館があって、そのいずれにもこの本の単行本版(初版は2005年らしい)は所蔵されておらず、この文庫版のほうはというと、新着図書だったのが入庫直後に借り出されて、あまつさえ、延長も一度されていたから、ずいぶん待たされた。とはいえ、予約するような野暮はしない。若い人たちに遠慮してのことだ。だれも借りないなら借りよう、さっそく借り出した。

(そしてこの日がちょうど、福田和也が亡くなったというニュースを知った日であった。すが秀美の追悼文がわたしには一番しっくり来た)。

じつはこの間、かかる図書館から

・小島信夫長篇集成第4巻「別れる理由Ⅰ」

を借り出し、最初の方を読んでみたことがあった。そして数章読み進んだ後、すぐに返却した。だから、坪内がなんども「読むのに骨が折れる」と書くことがよくわかった。「別れる理由」の原文を読んだのは、この最初の方と、坪内が彼の仕分け方で「別れる理由」を三つのパートに分けたうち、その第三パート=最終パートがはじまる転機となる、坪内がそう指摘する第116章だけである。これは坪内にならって、図書館の雑誌書庫から製本された「群像」1978年5月号を抜き出し、初出のものを読んだのだった。

坪内は、「別れる理由」と「抱擁家族」をポジネガの関係だと指摘し、後者についてはそれが「成熟と喪失」だったように、「別れる理由」に対応する批評として、江藤の「自由と禁忌」を引用する(これをわたしはまだ読まない)。

たとえば、江藤が漱石「夢十夜」を持ち出すのを批判して、むしろ、「同時代人としてのシェイクスピア」でなければいけないという坪内の批評は、坪内の面目躍起、この本の坪内的批評のなかでも白眉といえる。

そして最後、坪内はこの長い長い連載小説を「終わらせるために」、物語のなかにある人物が召喚されたと指摘する。その人物こそが森敦であった、と。

森敦が・・・・そうだったのか、柄谷が盛んに評価していたこの人、「意味の変容」のこの人が・・・・坪内によると「変容」というのが「別れる理由」を読むためのキーワードであったはずだし・・・・へぇ、なるほど。

・・・・ところで、「終わらせるために」ってのは、どこかで聞いたフレーズである。

上記した佐々木の本の序論は「シン・エヴァンゲリオン」論となっているが、そのなかで佐々木は、この長い長い連作アニメを「終わらせるために」、とある女性キャラクターが召喚され、「成熟」の物語が完結する、そんなことを書いていたはずだ。

そう思ってみると、なんと佐々木の書きぶりが坪内のそれに似ていることよ。

* *

この夏、ある方面に注目する読者にとって、ほとんど同じような本が二冊、同時に書店に並んだのに気づいたはずだ。