57歳になろうというあらゆる人がみな、45年前にこの人が盛んにビートルズ、ビートルズと言うからビートルズを聞き始め、そしてそれがロックへのイニシエーションとなったのだけれど、桑田佳祐が盛んにそう言っていたメディアは果たして何だったかと思いだしてみると、それは例えば、「明星」だったり「平凡」だったりするような、そんな往年のアイドル雑誌だったように思いだす。
結局、あらゆる57歳はビートルズに夢中になった挙句、桑田佳祐と彼のサザンオールスターズのアルバムは最初の2枚までしか聞かなかったのだけれど、一方、おそらく80年ころだったと思いだすのだが、桑田は「月刊」の方の「プレイボーイ」で毎月およそ1ページ2段組みくらいのコラムを持っていたのではなかったか。
「ジョンは自らの曲に殺されたのだ」「断然ポールの味方です」そんなタイトルを思いだす。前者は1980年の秋に5年ぶりというアルバムを発表し、その年末に殺されたJohn Lennonについてそう言ったもので、後者はそれがいつ頃のものかは思いだせないものの、たしかに同じコラムでそう書いていたはず。ただ、1980年のJohn Lennonのアルバムに誰しもががっかりしたように、同じ年に発表されたPaul MacCartneyのアルバム「MacCartneyII」は誰しもをがっかりさせたはずであった。
おくればせながら、桑田佳祐の週刊文春でのコラムをまとめた書籍「ポップス歌手の耐えられない軽さ」を読んでみると、桑田は、もし自分が無人島に行かなければならなくなり、しかもその際に一枚のレコードアルバムしか携帯を許されないのであれば、自分はきっとPaul MacCartneyのアルバム「MacCartney」を携帯するであろう、と述べている。もっとも、その無人島でレコードアルバムを再生すべき機材とそのエネルギー源をどのように誂えるのかについては、一切触れられていないのだけれど。この「MacCartney」は「MacCartneyII」から遡ること10年、ビートルズ解散直後1970年に発表されたものであった。
かように桑田は、Paul MacCartneyへの礼賛を明言するのだけれど、ところがどうしても、この人にはPaul MacCartneyよりもむしろJohn Lennonの方をより好んでいるのではないかと思わせる印象がある。
なぜか、と考えてみると、それはどうやらこの人の「いかがわしさ」、「いかがわしさ」というよりも、むしろもっと知性的な印象、いわば「韜晦癖」にあるのではないかと思い至った。
たとえば、「ポップス歌手の耐えられない軽さ」というタイトル。ここには、自らをポップス歌手と言いながら、実は「ロック歌手」であるという桑田の、自信と矜持とを誰しもが感じとるだろう。
音楽の話をして、どこか素人臭い印象があるとしても、その分析は明晰ではないか。
たとえば、「祇園小唄」の「だらりの帯よ」の「お」がminor6thであり、それが日本人の琴線に触れるのだと主張する、その語り口のように。
いくら歌謡曲への郷愁を語ったとしても、この人は明らかに、The BeatlesやEric Claptonを経由して、その淵源にはBluesへと遡行する「ロック」の人である。
そもそも「ロック」にはアイロニカルなアンチノミーがある。真摯でありながら胡散臭い、プロフェッショナルでありながらアマチュア臭い、そして、童貞性=ヴァージニティ。セックス、ドラッグ、ロックンロールというより、むしろ実現しないそれらへの憧憬、童貞の幻想こそが、ロックではないか。
桑田佳祐はその全キャリアを通じて、ヴァージニティを体現していると言ってよいのではないか。
45年前に「明星」や「平凡」でビートルズを語ったように、「ポップス歌手の耐えられない軽さ」には、これら「ロック」の要素があふれていると思うのだ。
