中井久夫からオープンダイアローグへ、そして「D」へ・・・・あるいは、「イルカと偶然」

岩波書店のPR誌「図書」の2025年7月号に、最相葉月なる人が「見守る・見守られる」という短文を寄稿していた。自身の母親の介護の経験、イタリアの精神病院撤廃の事情を紹介し、介護について経験者が当事者にアドバイスできるような「ピア介護」を提案するものだと読んだ。

この最相葉月なる人がかつてベストセラーになった「絶対音感」の著者であり、以降たくさんのノンフィクションやルポの本をものした作家さんであることを遅ればせながら知ると同時に、そういえばこの筆名をなんとなく記憶していたことに納得したものであった。

その最相が自身の介護をつづった連載を含む

・最相葉月「母の最終講義」

には、表題の介護にからむ部分のボリュームが少なくて不満があったが、同時に読んでみたこちら

・最相葉月「中井久夫 人と仕事」

には少なからず感銘を受けた。まだ読まないが、最相には中井久夫に取材した

・最相葉月「セラピスト」

なる単著も有名なのだそう。

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中井久夫、一時期「ユリイカ」を手にとると必ず、巻頭にこの名前が刻印された文章があったような記憶がある。精神科医というより、詩人として、だったろう。

たとえば、

・中井久夫集10 2007-2009「認知症に手さぐりで接近する」

の表題文章は、わが母の認知症にてこずってからむやみに認知症関連の文章を読み漁っていたときに読んでいたが、これを含むアンソロジー「中井久夫集」が最相の編集によるものだとは、最相の解説集「中井久夫 人と仕事」を読むまで気づかなかった。もとより、最相葉月という売れっ子ライターに気づいていなかったのだけれど。

中井が名古屋市立大学の教授だった木村敏に呼ばれて、木村と同僚であったというのも、この本によって知ったのだった。

それなら、この座談会に木村敏と並んで列席していたのは中井久夫だったのではないか、と思い当たった。案の定そうであった、そして何十年ぶりに読み返してみたのであった。

・木村敏・中井久夫・市川浩・柄谷行人「<分裂症>をめぐって」季刊思潮1988No.2

中井が自身の著書「分裂病と人類」について「分裂病している人を、一つの社会的な少数者として考えましょうという実践的な提案の、あれは枕なんですね」と言っている。つまり、分裂病というのは人類に備わった(失われつつある)正常な機能の発現であるから、それが発現するのはごく少数者だとしても、彼らを異常者としてパージするのではなくて、むしろこちら側の意識を変えましょう、彼らが共存できるような環境をつくりましょうというような実践的な提案が大事なのだ、ということだろう。事実、中井も木村もこの座談会では、精神科医=分裂病とつきあっている実践者としての姿勢を崩さない。なので彼らにとっては、ガタリもラカンも眉唾の「分裂病評論」ということになる。

中井の精神科医としてのスタンスはこれに尽きるのではないだろうか。

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一年ぶりの痛風の発作がようやく癒えて歩けるようになり、ほぼ一週間ぶりに駅前の本屋と図書館を歩いてみる。図書館の医療棚で痛風の関連本を手にとっていると、

・斎藤環「イルカと否定神学-対話ごときでなぜ回復が起こるのか-」

なるタイトルの背表紙が目についた。斎藤環の近著らしい。「イルカ」は不明だけれど、「否定神学」とはポストモダンにかぶれたことのある初期高齢者には堪えられないタイトルであった。

借り出してみて、なるほど、中井久夫つながりである。

ははぁ、つながるらしい。

ラカン派精神分析医(っていうのかな?)斎藤環が「オープンダイアローグ」なる取り組みに近づいていたのは、なにかの本をパラパラとしたことがあって、それで知っていた。

さて、この本にはいったい何が書いてあったか。

斎藤自身が自己分析するように「小難しく、ややこしい」のが冗長すぎて退屈なところもあり、逆に、既存の治療法との比較など、門外漢には理解できない用語に説明が不足していることもあり、そういう箇所は飛ばし読み。そうでなくてもちょっと気になったのは、たとえば「即時対応」のところが「即自対応」(サルトルかと思った)となっている箇所がわたしが気づいただけでも二か所あったし、第十四章で「「中動態」の箇所(第一章)で参照した國分功一郎」と書いてあったから、あれ、そんなのあったっけ(第一章にそんな記述はないらしい)と思っていると、その次の第十五章で「中動態」が参照されるとか、編集がザツなところもあったろう。

だからよくわからなかったと言い訳するわけではないのだけれど、わたし程度でもわかったことをメモしておくと、以下のようなまとめ方になる。

まず、モチベーションは明白、本書の副題「対話ごときでなぜ回復が起こるのか」という疑問に答えること。どうしてオープンダイアローグで統合失調症が治癒するのか、そのメカニズムを論じているわけなのだけれど、ただ、これはどうやら、治癒に至る具体的な方法論、あるいは過程論ではなく、治癒を可能にする存立構造論、というようなものなのだろう。そのために斎藤は、対話の実体である言語の方からラカン(の「否定神学」、とくに「逆説」)を導入し、当事者の心の方からベイトソン(の「学習」における「コンテクスト」)を導入する1。そこで、対話による逆説的効果が硬直したコンテクスト(妄想などに根拠を与えるコンテクスト)に揺らぎを与え、それによってコンテクストからの脱出が可能になり、治癒へと導く、そんなメカニズムを斎藤は提案しているらしい。ラカンとベイトソンはそれぞれ独立に召喚されるが、ラカンとベイトソンのあいだで、中井久夫が召喚されるわけだ。

オープンダイアローグの本家の思想には、バフチンのポリフォニーやベイトソンも言及されることがあっても、ラカンへの言及はないのだそう。

おそらく、少なくともオープンダイアローグの実践にとって、ラカンの理論は不要なのだろう。しかし、斎藤は腑に落ちない。敢えて斎藤がオープンダイアローグに解説を加えるなら、あるいは、斎藤が彼独特の仕方でオープンダイアローグを理解しようとするなら(それが「存立構造論」ということではないか?)、あくまでもそこにラカンを導入しないわけにはいかない。「あとがき」で斎藤はこの本の成り立ちについて、そもそも、オープンダイアローグにおいてもラカンの「否定神学」は有効であることを主張することであったが、そののちに、ベイトソンの「コンテクスト」が浮上してきたと言っている。そこで、ラカン→中井久夫→ベイトソンという流れで話が展開するのだけれど、やっぱりラカンなしでも、つまり、中井久夫→ベイトソンだけでもオープンダイアローグの解説にはなりそうな気がする。ただ、ラカンなしだったら、こんなに面白い本にはならなかったのは間違いない。わたしも手にとらなかったかもしれない。

タイトルの「イルカと否定神学」は、イルカがベイトソンの換喩で、否定神学はラカンのそれなのだそう。ならば、両者をつないだ中井久夫の換喩も必要だったのではないか、「偶然」とか。

最後に、これも「あとがき」に書いてあったことだけれど、柄谷行人の例の「四象限」が、A:互酬(贈与と返礼)、B:服従と保護(略取と再分配)、C:商品交換(貨幣と商品)、D:Aの高次元での回復として引用されており、そのカウンセリング版として東畑開人の「四象限」、A:友、B:親(的なセラピスト)、C:店(開業医)、D:鬱、が紹介されている。

これに対して、斎藤が提案するのは、もちろん、D:オープンダイアローグ、であった。

  1. 斎藤は「ラカン的=心の側」、「ベイトソン的=脳の側」と書いている。 ↩︎