講談社文芸文庫の新刊は、柄谷行人の対談アンソロジーの第三巻目。中上健次との、蓮實重彦との、そして浅田彰との「全対話」集もいい企画だったけれども、このアンソロジーシリーズもいい企画である。
三浦雅士との対談「「意識と自然」からの思考」は、デビュー直後から90年代にかけて柄谷と並走した印象のある三浦が、柄谷のそれまでの仕事(「探究II」の出版直後らしい、対談日は初出「國文學」の当該記事の跋に1989年6月26日とある)を整理し、そこに二人の若い時期の思い出話がシンクロするもので、気楽に読むことが出来る。そうして読んでみると、むしろ柄谷を世に出した(と言っても過言でなかろう)三浦こそが偉大だったという感じもする。柄谷がそう言っているように、二十三四の若さでユリイカ、現代思想の編集長を務めたのだから、それは改めて感嘆ものである。
ところで、柄谷の文章について、たしか福田和也だったと思うが、その文章は読者に、自分が今まさにそんなふうに考えているようなライブ感、読者自身がそう思考しているように錯覚させる文章だ、そんな風に批評していたことがあったと思う。
柄谷のこんな発言がまさにそんな感じではないか・・・・。
デカルト・スピノザ・シェイクスピアの17世紀に現代の問題の全てが出尽くしている、たとえば「宗教」は「共産主義」に置き換えることが出来る、そんなコンテキストの中で柄谷はこう言っている。
「宗教というのは、キリスト教であろうと仏教であろうと、寛容を説くわけですね。しかし、それはその説かれた宗教や宗派の共同体の中だけの話であって、その外に対しては全然寛容じゃないんですよ・・・・寛容というものは、一つの体系の中からは絶対に出てこない。つまり、体系がその外部の者つまり他者に対して持つ寛容こそが寛容なのですが、それを体系から原理的に演繹することはできないわけです」
さらに
「表現の自由とかの根本は元来において宗教の自由にある、と思う。そして宗教の自由は、宗教の内部からは絶対に出てこないわけですよ。他人の宗教を認めるということは、これは結局、殺し合った後で出てきたものです。スピノザが考えたのは、それを基礎づけることだと言ってもいい。各宗教(共同体)を超えた世界=神をもってきた。それ以外に「寛容」を原理的に基礎づけることはできません」
「宗教」を「体系」と言い換えることで議論は一挙に普遍的なレベルに達し、「寛容」はフランス革命の「自由」を経由することで一挙に歴史的な実証を与えられ、読者はすっかり得心してしまう。
ところで、この対談の中では、三浦がサルトル「嘔吐」になぞらえて「現象論的還元を小説化したもの」なる言い方で解説する、柄谷の漱石批評だが、当の対談の初出「國文學」平成元年10月号を覗いてみると、その巻頭エッセイの冒頭で日野啓三がまさにその点を指摘していた。「道草」の一場面、庭の鯉を釣ろうとして実際に釣れてしまったのに驚いて竿を放り出すという場面。「この箇所に深く注目しているのを読みながら、こういう人なのか、と納得するところがあったのだった」と。
