鮎川誠

ジャンルを問わず、音楽演奏家のプロフェッショナルというのは否定的に定義すべきものである。つまり、技術的にデキる人のことではなく、失敗しない人、ミスタッチのない人のことをプロフェッショナルと呼ぶべきなのだ。だからこそ、技術的にはさほど目立たない演奏家であってもプロフェッショナルとして成立するのである。演奏家という職業の成り立つ所以である。

ところが、そういう凡俗なプロフェッショナルの定義を反故にしてしまうような、プロとノンプロの彼岸に超越してしまうような人が、存在するのだ。先日亡くなった鮎川誠という人は、そんな超然たる存在であった。

というのも、彼は決して失敗しない演奏家であったから。ミスタッチがないというような凡俗なことを言うのではない。彼は決して失敗しない、失敗は彼にはあり得ないということなのだ。なぜというに、彼の演奏、彼のロックは常に彼がギターを抱えるその場、その場だけではじめて生まれ、その場限りで演じられ、そして消えてゆくものだから。失敗はあり得ないし、同様に成功もあり得ない、彼がギターを弾いたのだ。

ジミヘンやらキーンてさ、こやん弾きよっとたい、(自らギターを弾いてみて)‥‥うまくしきらんばってんね!
(たしか、Charとの対談だったろう、こんなこと言いよらしたと思う・・・・)

レスポールを持つ彼の姿がロックそのもの、ロックを体現していると、たとえば仲井戸麗一のような人がことあるたびにそういうのは、鮎川の超然をそういうに違いない(どことどことどこでやったかいね、仲井戸氏がそんなことを言いよらしたのを何回か聞いたと思う・・・・)。