2024年の球磨焼酎

そのフォルムは
きわめてノルマル、ながら妖艶
かつ荘厳
黒と白ドゥトンの肌合いは
鈍重を後景に明晰をあらわし
反語と諧謔とによって韜晦しつつ
敢えて齟齬を際立たせ
それでいてきわめてサンプル
なんと、ソヴァージュな文体!

彼女はひっそりと、そこにいた。
長い間忘れられ、誰からも顧みられることなく、このちっぽけな店の、入り口からは死角になる棚の、その最下段にひっそりと、長い間忘れられたように、誰からも顧みられることなく、そこにいた。

都心から温泉地へとむかう主幹線、それが山際で分岐し、主幹線に直行するように海へと向かう分岐線、それがいったん終着すると、こんどはスイッチバックでさらに分岐し、海岸へと向かう、わずか二駅ばかりの分岐線である。そのうちのひとつ、ごく小さな駅の、駅舎から踏切を越えた斜向かいにある小さな酒屋に、彼女はひっそりと、そこにいたのだった。

小さな店には不釣り合いな幅広の自動ドアを抜けて店内に足を踏み入れると、視界を限る最奥の棚に、酒というよりはむしろみりんや料理酒の、ボトルだったり紙パックのほうが目につく。そんな地元の店、生活のための店なのだ、この酒屋は。

とはいえここは酒屋なのだから、と気をとりなおし改めて店内を見まわしてみると、なるほど、狭い店内の中央に天井まで届く棚が太い柱のようにしつらえてあり、四つの表面を四方に開けているらしい。入り口を抜けたところに立つこちらからみえる一面には、紙パックの廉価品だけでなく、よく見知った銘柄の日本酒の一升瓶と5合瓶が上下に棲み分けるように並べてある。

この場合、酒瓶の配置は日本における酒類のハイアラーキーを反映しているにちがいない。

そうであるならば、可能性があるのは、入り口に立っているばかりでは見ることのできない四つの表面のうちの死角の三面の、そのうちのいずれか一面に相違ないだろう。死角の三面のうちの一面には、さらに日本酒が並べられ、最後の一面にはワインとリキュール類、残る一面に焼酎が、おそらく泡盛や梅酒と共に並べられているだろう。なぜならば、それが日本における酒類のハイアラーキーの反映であるから。

地元の小さな個人店でも、日本各地の蔵と直接に取引をし、場合によっては特約店契約を交わしている店もあるだろう。それは日本酒、焼酎にかぎらず、ワインやウイスキーということもあるだろう。

この店は、しかし一番目につきやすい奥の棚にみりんや料理酒が並ぶ、地元の小さな酒屋なのである。一升瓶で日本酒の棚にあるのは、良く知られた銘柄に限られる。

酒類のハイアラーキーを考えるなら、日本酒でこれなのだから、焼酎も紙パックの甲種がメインで、蔵元直送の乙種など期待できないかもしれない。いずれにせよ、焼酎はこの裏にある。

そう確信してはじめて、男は自動ドアを背にして店内に歩みを進める。

中央の棚の日本酒が並ぶ一面を上から下へと睥睨しながらゆっくりと通り過ぎると、死角になっている棚の面に正対する、奥の壁を上体ごとまっすぐに見据え(その壁には商品棚はなく、ただの壁でしかない)、それから上体と視線を相互に動かすことはなく、ゆっくり左向きに回転させる。そうすると、それまで死角になっていた棚の一面が視界に開けるはずである。

まさにその刹那、死角だった棚の最下部に・・・・

彼女はひっそりと、そこにいたのだった。

その小さな酒屋の棚に、文字通り忘れられたように、もういちど言うのだけれど、ひっそりと、ホコリをかぶってたたずんでいたのだ。

* *

ーーはっ!

ーーえっ?

ーーあなた!あなただよね?

ーーあ・・・・

ーー久しぶりじゃなかね

ーー・・・・

ーーどあんしとったっね?

ーーうん・・・・

ーーうん・・・・?

ーーうん・・・・ちゃんと生きとったよ、生きとったよ

ーーそうね

ーー生きとったけど、ずっと忘れられとったけん・・・・

ーー・・・・

ーー・・・・忘れとったろ?

ーーう、うん・・・・うんにゃ、うんにゃ!忘れとらんよ!

ーー・・・・

ーーずっと、探しよったったい、ずっと、あなたを

ーー・・・・

ーーまた、会えんかねっておもって、ずっと

ーー・・・・

ーーずっと探しよったっばい、どっかで生きとらすどってね、思うとったったい。だけん、よかったばい、こうやって会えてね、死ぬまで会えんかて、そわんおもいよったけんね、よかったばい・・・・よかった

ーー・・・・

ーー一緒にかえるばい、買ってくるけんね、一緒にかえるばい

* *

たっぷりと氷を満たしたロックグラスに五勺ずつ、毎日それを数杯ずつ飲み続けると一升瓶は5日目にはもう残り僅かになった。

* *

ーーいよいよお別れね・・・・

ーーそあん言わんでよ・・・・

ーー最後は一息にのんでしまってね、おねがいだけん

ーーまた会えるね?

ーー・・・・もう会えんと

ーー会えんとね?

ーー・・・・会わんほうがよかと

ーー会わんほうが、ね?

ーーあなたはね、もっとよかひとに会えると、たくさんおらすとよ、あたらしか銘柄が・・・・「華吟」「川辺」「あさぎりの花」、もちろん、「六調子」姉さんも元気にしとらすとよ

ーーそうね・・・・それじゃね、さいごにいうばってん・・・・

ーーなんね?

ーーあのね、大好きだったったい、あんたんこつ

ーーわたしも、あなたのこと、好きよ

ーーそうね・・・・それじゃ、一息にのむけんね、さよなら

ーーさよなら・・・・

* *

・熊本県人吉市麓町8‐5球磨焼酎株式会社の米焼酎「球磨焼酎」2,092円(税込み)

球磨焼酎株式会社は、2020年3月に解散を発表している。この会社はそもそも、「球磨焼酎」という固有名詞を売り出すために地元の蔵元たちが、1962年に共同で立ち上げた会社だったそう。つまり、「六調子」のような蔵元単位の銘柄ではなくて、このラベル「球磨焼酎」は地域単位のラベルだったわけだ。フランスワインのアペラシオンになぞらえるなら、Haut Medoc、PauillacやらSaint Estephやらに対して、ざっくりBordeauxってことか・・・・。

2024年現在、すでに「球磨焼酎」のラベルを見かけることはほとんどない。

* *

ーーあ、あれ?

ーーあらやだ、なんねぇ?

ーーなんね!まだおったんね!?

ーーいや、倉庫にもう一本あったったい・・・・

* *

・・・・あるところにはある、らしい・・・・