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その電話をうけたのは、長く続いた真夏の暑さがようやくおさまろうという、すでに9月の末ころであった。電話はこんな調子ではじまった。xxさんの携帯電話でしょうか、いま少しお電話のお時間を頂戴できますでしょうか、こちらはxxという犬猫愛護団体の者で、xxと申します。地方自治体の委託を受けて犬ちゃんや猫ちゃんのマイクロチップの情報を管理する業務もしております。じつは、そのマイクロチップのことでxxさんにお電話いたしました。xxさんは猫ちゃんを飼っておいでですね・・・・
ーー飼っていたといいましょうか、以前、猫と一緒に暮らしていたことがありますね
ーーあぁ、やっぱりそうですか、よかったですね、見つかりましたよ
ーー・・・・
ーーいま、こちらの施設でxxさんの猫ちゃん、預かってますよ!えぇ、よかったですねぇ!
ーー・・・・ぇ、いえ、違いますね。以前、猫と一緒に暮らしてましたが、その猫はもう死んじゃったんです
ーー・・・・
ーー世田谷のペット葬儀社で火葬にしました、えーっと、20・・・17年のことだから、もう6年前になります
ーー・・・・ぇ、おかしいですね。じつは、xxさんの猫ちゃんのデータのはいったマイクロチップを埋め込んだ猫ちゃんを、こちらの施設で預かっているんですよ
ーーへえ、そんなことがあるんですね。でもその猫ちゃんはわたしの猫ではないですよ、とうに死んじゃってるんですから
ーー不思議ですね、マイクロチップのデータが間違っているなんて、聞いたことないですよ
ーーでも、本当なんです、もう死んじゃってるんですから
ーー・・・・もう一度、ねんのために確認をさせてください、xxさん、xxxxさんですよね、電話番号はxxxxxxxxx、合ってますもんね。
ーー合ってますね
ーーわかりました、大変ご迷惑おかけしました。こちらでもう一度確認してみます、失礼します
と、やりとりはこんな具合であった。
おかしな手違いがあるものだ、電話を切ってからしばし、一緒に暮らした猫の記憶に耽っていたのだけれど、ぼくの猫と同じデータのマイクロチップをもつ猫、それはいったいどういう猫だろう、まさかぼくの猫が生き返るわけなどあり得ないのだけれど、ひょっとして同じような姿かたちをしているかもしれない、そんな偶然はないかもしれないけれど、一目会ってみたいものだ、そんな興味がむくむくと湧いてきたのだった。ぼくは携帯の履歴にコールバックし、それはぼくの猫ではない、それは間違いないのだけれど、ねんのために(いったい、どんなネンのため)一度その猫に会ってみたい旨を伝えると、先の担当者もそうですね、ねんのために会っておいてもらえるとこちらも助かります(どう助かるのだろう)という返事、さっそく翌日にかかる愛護団体を訪ねることにしたのだった。
ーーこちらの猫ちゃんがそうなんです
ーーへぇ、キジトラですか。で、どっちの・・・・
ーーえぇ、両方なんです
ーーあ、両方・・・・つまり二人とも(ぼくは猫を人間扱いして一匹二匹ではなく、ひとりふたりと数えるのだ)、同じデータで、ぼくのデータってことですか・・・・へぇ
ケージの中には二匹の猫、キジトラ模様、まだ生後一年経たないのだそう。
そして、ぼくはこの二匹の猫を引き取ることにしたのだ。
2
ーーあら、クックじゃない。
猫たちをみるなり、彼女はそう言ったのだ。
クックというのは、ぼくが、ぼくたちがかつて一緒にくらしていた猫の名前だ。彼女というのは、ぼくのかつての妻、離婚した妻のことである。
彼女、別れた妻とぼくとは25年ほど前に結婚し、日本で一緒に暮らしていたが、ぼくのほうの事情があって、6年前から2年間ほど海外に暮らした。彼女はろくに外国語を話せないのに海外の暮らしを好み、ぼくの海外赴任が終わってからも彼の地に残ることを計画し、その目的のために、現地の愛人をこしらえたのだった。ぼくたちは離婚し、ぼくは帰国、彼女は現地に留まることになった。
クックはぼくたちが日本に暮らしていた間に一緒に暮らしていた猫で、かれはぼくたちが海外に行く直前、それを嫌がるかのように急に衰えはじめ、そして死んでしまった。背中にICチップをいれたのは、かれを一緒に海外に連れて行くためだったのに。
その別れた妻とは別れたあとでも、おもにメールのやりとりをしていたのだけれど、ぼくはICチップと新しい2匹の猫のことをさっそく彼女にメールした。
すると、彼女は愛人の別れ、日本に帰ってきたのだ。
ぼくが彼女を自宅に受け入れるのを当然のことだといわんばかりに、彼女は日本に着くなり、空港からぼくのマンションに直行した。かつて彼女と一緒に暮らしていたマンションにぼくは一人で暮らしていたから。そして、まだぼくたちの挨拶を交わす前に、こういったのだった。
ーーあら、クックじゃない。
ぼくが驚いたのはいうまでもない。クックは白と黄色がかった茶色のニケ猫で、こんどの二人はキジトラなのだから、似ているわけがないのだ。別れた妻はむかしから、こんなふうにときどき妙なことを言う。おおむね間違っているのだけれど、たまに当たっていることがある。
ーーぜんぜん違う猫じゃないか、で、どっちがクックって?
ーー色が違うだけよ、クックちゃん、クッちん、久しぶり。
ーーで、どっちがクックって?
ーー二人ともよ、二人ともクックだわ。不思議ね。
ーー不思議ってのはこっちのセリフだね。だいいち、ぜんぜん大きさが違うじゃないの・・・・
ーーそう言われてみればそうね。でも・・・・
と彼女はもういちどしげしげと猫たちを見比べて
ーーやっぱり、クックだわ。二人とも。
と断言したのだった。
彼女はクックを溺愛していた。クックが死んだとき、世田谷のペット専門の火葬場で火葬し、骨壺を持ち帰ると、彼女は三日間かけて、手ずから骨を砕き、とうとうパウダー状にすると、ある日の早朝、ぼくを誘って、神社の大木の根板に散骨したのだった。あの三日間、彼女は一言も口をきかず、まるでなにかに憑かれたように骨を砕き続けた。
ーーというわけよ、わたし今日からここに住むから、よろしくね。
彼女は猫たちを見つめたまま、そう言ったのだった。どうやら猫たちへの挨拶だったらしい。
