今年のクリスマスはこうなるだろう、ぼくは約束を忘れてはいないから。
日が暮れだす時間に商店街をぬけて甲州街道にでると左に折れ、Bakery Sasaでバゲットを一本もとめる。店をでるまでのあいだ、奥の壁にはってある彼のポスターをじっと眺めるだろう。
バゲットをかじりながら甲州街道を歩き幡ヶ谷の駅前で横断歩道を向こう側にわたる。向こう側の歩道を歩いてさらに甲州街道を東にむかう。歩道橋の下、ビルの地下にむかう階段がみえる、ここは1990年から10年くらいのあいだ、ぼくたちが常連にしていたクラブのあった場所だ。FiestaやSally Maclennaneで踊ったこともあったのだ。いまもそのクラブの共同オーナーだった人がこんどは単独オーナーになって、違う名前の、違う雰囲気の、でも音楽はきっと変わらないだろう、クラブを営業しているはずだ。もうずいぶん長い間たずねていないけれど。
もちろんまだナイトクラブの時間ではない、ぼくは東に向かって歩を進めるだろう。笹塚の手前で大きく迂回した遊歩道がこのあたりで甲州街道に並行するのだけれど、ぼくは甲州街道わきの歩道を歩くだろう。ここから新宿まで、歩くことそれ自体以外、気をひくものはなにもない。
伊勢丹の店内をつっきってでたところの横断歩道を渡り三丁目の雑然とした界隈に来るのもひさしぶりのことだろう。末廣亭の高座を最後にみたのはもう20年以上前のことになるかもしれない。ぼくらが一緒に歌いはじめたばかりのとき、毎週土曜日の夜の深夜寄席によく通ったものだ。笑ったり笑わなかったりしてから、ぼくらはぼくらにドラムとピアノとギターアンプを貸してくれるバーに行くのだった。
その店はもう存在しない。ずいぶん前に、きっと10年以上前だったろう、閉店している。でもぼくはまず、その店があったビルを訪ねてみるだろう。老朽化のはげしいビルはそれでもまだそのまま残っているに違いない。東京を荒らすゼネコンの手がこの界隈にはいるのはもう少し先のことになるだろうから。狭い階段を2階にあがってみると、店の名前はもちろん変わっているけど、ドアのガラス窓に貼られていたウォーホールのバナナのレコードジャケットの、そのセロテープの跡はまだくっきりと残っているに違いない。それだけを確認するとぼくはビルをあとにするだろう。
もし彼が死んだなら、その年のクリスマスに、ぼくたちがいつもあつまってさわいでいるこのビルのこの店に、そのときみんながなにをしてるかしらないけれど、この店にみんなであつまって、いつものPoguesをやろうよ。
彼らのFairy Tale of New Yorkを聞きながらそう話し合ったとき、彼は20年前の当時でもすぐに死んでしまいそうだったし、でもぼくたちは彼はきっと死なないだろうと信じてもいたのだったと思う。
友達だったこの店の店員は、幡ヶ谷のクラブの共同経営を断念した後にこの店で働きはじめ、この店が閉店したあとは、ゴールデン街の間口のちいさなひとつを譲ってもらい、そこでバーをはじめた。その経緯のこまかいところはよくしらない、聞いたこともなかったはずだ。
とにかくぼくはそれから、ゴールデン街の店に足を向けるだろう。この店にも三年前にほぼ一年ぶりにたずねて、そして久しぶりの顔ぶれに会ったことをよろこんで泥酔し、それ以来、来たことはないはずだ。
この店のオーナーになった友達はいまでも、最終電車で出勤するか、そうでなかったら結局出勤しなかいか、そんなスタイルを変えていないだろう。だからこの時間のカウンターには、まだ若い、ぼくを知っている店員か、ぼくを知らない店員がいるはずだ。とにかくぼくはカウンターしかないこの店の、まだ開店したばかりだから誰もいないカウンターの、椅子のひとつに腰かけて、静かに飲みはじめるだろう。ぼくはいつも最初は静かなのだ、途中で急に豹変するのだけれど。飲むのは、もういまのぼくにはちょっときつくなったけれど、ここの来たのだから無理をしてでもJamesonのロックだ。三年前のボトルがなければ、新しいボトルをいれるだろう。
クリスマスだから店の前の喧騒はかまびすしい。すぐ戻って来ますからちょっと店を見ておいてくださいね、と言いおいて店員が裏口から出ていき、ぼくは薄暗い店にひとりになる。すると、外の喧騒が急に激しくなったと思うと、客がひとりはいってくるだろう。古くから馴染のぼくの知っている客か、あるいは最近馴染みになったぼくの知らない客か、どちらかだろう。いずれにせよ、すこしだけ言葉を交わし、店員が戻ったら、酒を手にした客とグラスをあわせて乾杯するだろう。そしてまだ当分、静かに飲み続けるだろう。
いつのまにかぼくの左となりにベースが、右となりにパーカッションが腰かけている。ぼくはきっと顔を左右にふりながらしきりになにかしゃべっているだろう。ひさしぶりにぼくたちは会ったのだから、話すことならいくらでもあるだろう。
この店のオーナーはいつもよりはやく0時前には出勤するにちがいない。この店にはさして影響はないとはいえ、クリスマスなのだから。そしてぼくはもうすでに酔っている。いれたばかりのJamesonのボトルは半分になっているだろう。小さな店のカウンターは満席になり、座るつもりのない客が10人くらい立ったままひしめきあって、踊ったり、叫んだりしている。
そしてぼくは、立ったままの客たちのなかに、もうひとりのなつかしい顔を見出すだろう。
照れかくしのためにぼくは猛烈な勢いで彼女に話しかけるに違いない。きっと彼女はぼくが話す内容を理解しないだろう。話したいことが口の手前でふんづまってシーケンシャルにでてゆかないから、まるで感情そのものが音をたてているような、そんな状態なのかもしれない。でもきっと彼女はわらいながらぼくに調子をあわせてくれるにちがいない。それはぼくたちの約束が果たされた瞬間だから。
当時彼女は小さな劇団に所属し、三丁目のビルの三階の店でアルバイトをしていたのだった。ぼくたちは彼女を目当てに友達の二階の店と三階の彼女の店とをなんども往復したものだった。店の名前は憶えていないし、当時から知らなかったかもしれないが、Blues Brothersの二人のシルエットをあしらった看板があった。
ぼくはあまり女の子とうまくいかなかった。けして暴力をふるうことはなかったとおもうけれど、酒を飲んだときの態度に問題があった(そう、それで男の子ともうまくいかないこともあったのだ)。たとえば、酔って帰ってくるとおもむろに冷蔵庫をあけて、そこにおしっこをしはじめるとか、そんな程度のことなのだけれど。でもそんな程度のことでもそんな程度のことがなんどもくりかえせば、女性たちは恐がって、というよりも気味悪がって、ぼくから離れていくことになる。はじめて出会った女性なら、最初は静かにおしゃべりしながら、おおむね聞き手にまわっているのだけれど、過ごせば急に豹変していつしかもうれつな勢いでしゃべりだしているのだそう。それがほぼすべて相手を罵る言葉だというのだから、それはたちの悪い酒だろう(そうやって二度と一緒に酒を飲まなくなった男たちもいる、ただそんなやつらとはそもそもつきあうつもりはなかったのだ)。いまはもうあまり飲まなくなったけれど、過ごしたらきっとおなじ問題がでてくるにちがいない。そんなふうに、ぼくは女の子とはうまくいかず(女の子だけではなかったかもしれないけれど、とくに女の子とはそうなのだとおもう)、それでもいつもお酒を飲んでいたのだった。
ところがどういうわけか、この彼女は、ぼくがいくら酒を飲んでも、飲まなくても、かわらずにぼくとつきあってくれた。酒を飲み過ぎて酔っぱらっても、ぼくは一切おぼえていないのだけれど、つぎにあったときは、そのまえとかわらずに、ぼくに接してくれていたのだ。
最初に会った時のことも覚えている。彼女はぼくのとなりのカウンターに腰かけてぼくの話しを聞いていた。横から眺めるとまっしろなうなじのラインをアップにした髪のはえぎわから背中にかけてみせている。ぼくはおもわず彼女のうなじのラインを指でなぞっていたのだ。彼女はそれを触られるままにしていたが、けっして嫌そうにしていたわけではなかったとおもう。ぼくの連れが、彼はベースだ、ベースが慌てて、この酔っ払いがとぼくを羽交い絞めにしたのだった。ぼくはめずらしく、それほど酔っていたわけではなかったのだけれど。
たしかヨーロッパのどこかの国で生まれたと言っていたと思う。彼女は英語の歌を自然な発音で澄んだような声で歌った。ぼくは彼女をぼくたちのグループに誘い、二階の店で一緒に演奏し一緒に歌いはじめたのだった。彼女のアルバイトが終わってから、毎週土曜日の深夜、続いたのはほんの半年くらいのことだったかもしれない。ぼくたちは自分たちのグループをThe NYPD Choirと呼んでいた。ぼくがギターを弾き、彼女がピアノを弾きながら、二人のツインボーカルだった。ぼくたちの歌を聞いてくれるのは、店のマスターと店員、劇団のひとたち、常連の客たちだけだった。
二階の店が閉店になるのとあわせて、ぼくたちのグループの活動も自然に消滅した。ぼくたちは徐々に会うことがなくなり、そしていつしか完全に疎遠になってしまったのだった。
彼女の姿を雑誌や広告でみかけるようになったのは、それから二年後くらいのことだろう。まずはテレビドラマで有名になったらしかった。そしていっきに人気女優になったらしかった。ぼくはもうテレビをみなくなっていたから彼女のでているドラマをみたことはない。映画もみなくなった。
ぼくがクリスマスに再会するのは、そんな彼女なのだ。
ぼくたちはきっと一緒にうたいはじめるだろう。
Fairly tale of New York、Irish Rover、そして最後にWalzing Matilda….
そしてぼくは、どうやって彼女らと会い、どんな反応をかえし、なにを話し、どうやって別れたかもわからないまま、彼女らの印象をぼんやりかかえたまま、二日酔いの夕暮れに目覚めることだろう、彼、Shane Macgowanのおもかげとともに。
