大江、江藤、柄谷、そして三島

あくまで印象でいうのだけれど、たとえば安部公房という人の特集を今月号(2024年3月号)の「新潮」や「芸術新潮」がするのは、安部が1924年3月生まれで、それから100年になるのを記念してのことだろう。書店では評論だか評伝だかが平積みになってもいるようすである。生誕100年の出版イベントというわけだ。たしかに安部公房は偉大であったろう(あまり読んでいないけれど)。

ところが、そんなきっかけとは無縁に、その評論や評伝が書かれ続け、その関連本がコンスタントに出版されつづけている作家がいる。

たとえば、

・井上隆史「大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」」

という新刊本がいま、書店に新書棚に平積みになっている。これを手に取った数日後、こんどは文芸棚に

・「大江健三郎 江藤淳 全対話」

・風元正「江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか」

なんて新刊が平積みになっていた。江藤淳は亡くなってからすでに25年になろうとしている。

大江健三郎が鬼籍にはいったのは昨年(2023年)3月であった。その死の前年にはたとえば

・野崎歓「無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語」

・尾崎真理子「大江健三郎の「義」」

・工藤庸子「大江健三郎と「晩年の仕事」」

が出版されていて、

・菊間晴子「犠牲の森で 大江健三郎の死生観」

や、本人の最後の連載をまとめた

・大江健三郎「親密な手紙」岩波新書

も昨年10月に出版された。今月号の「文学界」には

・市川沙央×岩川ありさ×菊間晴子「大江健三郎は何度でも新しい」

なる鼎談が載っているし、「群像」では

・工藤庸子「文学ノート・大江健三郎」

の連載が続いているだろう(たぶん)。

大江について言えば、その死を契機にして読み直しをはじめた人たちが、プロの書き手に限らず、一般の読者にもたくさんいるに違いない。

* *

ところで最初に挙げた、

・井上隆史「大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」」

の著者は大学の先生で三島由紀夫の専門家らしい。学者さんだけあって、日本文学の海外での翻訳事情にも通じているようで、それは大江の「個人的な体験」の翻訳エピソードだけではなくて、むしろ川端のそれを取り上げて論じたあたりに端的にしめされている。学者さんはなにより文献に通じていることが学者さんである最低条件である(もうひとつ挙げるなら語学、この著者は英語だけでなくスウェーデン語やフランス語も読めるらしい)。

しかし文献に通じていることと、それの使い方やそれの解釈が的確かどうかは関係がない。この著者は、川端のノーベル賞受賞のポイントになったという「川端の美学、あいまいさvagueness」は翻訳によってつくられたイメージだというのだけれど、それはやけにナイーヴな意見ではないかとおもう(追記)。そもそも大江がノーベル賞講演で批判した「日本のあいまいさambiguous」からはやけにズレた議論、文献事情に知識にひきずられた議論のようにおもえる。

この人のナイーヴさが際立つのは、ここだけではない。もうひとつ、むしろこっちのほうがよりそうなのだけれど、大江が晩年に被告となった「沖縄ノート」の集団自決に関する裁判を重要視すること。なにせ、この本の中で、この「沖縄ノート」と「集団自決」裁判の占めるページ数が他の作品を取り上げたどの章よりも(この著者が「本当ノ事」が書かれているという、結論の「水死」よりも)ずっと多いのだから。

そして残念なことに、せっかく詳細に調べた「集団自決」裁判なのだけれど、それがこの著者の言う「本当ノ事」に説得力を与えたかというと、まったくそうでなくて、そもそもこの著者の言う「本当ノ事」(三つもある)が大江健三郎の本当に本当のことだとはとても思えないのであった。

それにしても、このナイーヴさ、どこかで・・・・と思い当たったのが、これだった。

・小谷野敦「江藤淳と大江健三郎」

この人の場合は自分のひねこびたところを曝け出す芸風だからそうなるのだろうけれど、ときおり差し挟まれる自分語りといい、暴力への怯えといい、似たようなナイーヴさだと思ったのであった。Wikiにあたってみると、この二人はほぼ同い年で、両者とも東大の文学部出身らしい。それに比べると

・野崎歓「無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語」

はこの二人より少し年長さんらしいけれど、大江の無垢さ、チャイルドライク(中二病的)にフォーカスしながら、さほどナイーヴな感じはない。

・尾崎真理子「大江健三郎の「義」」

になると、大江を大ナタで処理しているような豪快さがあって、読み応え十分であった。工藤庸子や菊間晴子は学者臭がかって読む気が失せる(実際最初の方でやめちゃった)のだけれど、尾崎のはったりは読んでいて清々しい。

* *

そういうわけで、井上の新刊にはさほど感心したところがなかったのだけれど、ひとつだけ大事なことがあった。

というのも、この本を書くにあたって井上が終始参考にしたと思しい

・柄谷行人「終焉をめぐって」

を思いだしたことである。

とくに「第一部 固有名をめぐって」におさめられた最初の二つのエッセイが大江健三郎「万延元年のフットボール」を読むことによって近代日本、明治から昭和の終りまでを俯瞰する批評になっている。これは1988年から89年にかけて発表されたもの。1989年1月に昭和天皇が崩御したのだった。

ここで柄谷は大江健三郎の作品に登場する固有名(「蜜」や「鷹」のみならず、固有名ではないものの初期作品の「女子学生」や「管理人」も)を取り上げ、まずはそれらが「タイプ名」であることを指摘する。80年代の柄谷はヒルベルトからゲーデルに至る数学基礎論やソシュールの言語論によって構造主義的な思考のフレームワークを突破しようとしていたようで、この「タイプ名」というのも集合論的な意味合いで使ったのだろう。つまり、名前がその性質を表しているというわけである。そして、大江の作品というのは、近代文学が「シンボル」を志向する(個から普遍に至る)のに対して、敢えて、意識的に、近代文学がのりこえようとした「アレゴリー」を志向する(普遍から個を描く)ものであることを指摘する。そして、「万延元年のフットボール」をアレゴリカルに読み解いていくことによって、その登場人物と展開を近代日本を表象する二次元座標に整理してゆく。

おそらくここで大事なこと、いってみれば大江健三郎の「本当ノ事」というのは、明治維新以降の近代日本の西欧化に対して、その裏面であるアジア志向に注目することであり、それが自由民権運動から右翼(国権)に反転するという経緯を経ながらも、つねに近代日本の文化や考え方を規制し、同時にドライブし続ける、強迫観念のような原動力になっていたということだろう。大江を論じながらつねに三島由紀夫が召喚されるのは、そのためである。それは大江以降、大江と並んで日本文学界の頂点に位置するようになった村上春樹の作品においても同じである、と。

柄谷の「本当ノ事」は本当に本当のことらしい。というのは、彼がここで提出しているフレームワーク(「国権ー民権」「西欧ーアジア」のなす二次元座標平面)はいまだに有効であるようだから。

いままさに、台湾の巨大半導体企業が日本を救おうとしているが、その台湾は中国の一部かもしれない。

とまれ、われわれはアジア人である。

* *

そんなことを思いながら文芸棚に平積みになっている

・「大江健三郎 江藤淳 全対話」

を手に取ってみると、彼らの四つの対談にあわせて、柄谷の1971年1月に発表されたエッセイが併載されている。初出は

・柄谷行人「読者としての他者 大江・江藤論争」國文学解釈と教材の研究197101

書かれたのはおそらく、三島の自決の前だろう。三島にはふれられていない。

ここで柄谷が参照しているのは主に、四つの対談のうちの三つ目、初出ならこれである。

・大江健三郎・江藤淳「現代をどう生きるか」群像196801

以来二人は完全に決別した、としてよく知られた対談らしい。

まずは江藤が大江の「万延元年のフットボール」を挙げてそれを辛辣に批判する。そして大江も真正面から応じ、返す刀で江藤の近著「一族再会」「アメリカと私」を批判するという流れ。

江藤の大江に対する批判は、要するに、技術的にいうなら辻褄あわせがうまくなったけれど、文学的には停滞しているということなのだけれど、ここで具体的に挙げているものが、じつは「固有名」なのだ。

柄谷が固有名を挙げて大江を評価しているのは上で述べたところだが、ここで江藤はその固有名(「蜜」や「鷹」)を批判している。この固有名で読者を取り逃しているのだ、と。もちろんこの批判はあたらない。のちに大江が筒井康隆をそう言ってほめたように(注)、大江にはそもそも「読者に対する悪意がある」のだから。

一方大江の方の江藤に対する批判は、もっぱら、江藤には「他者」がいない、という指摘である。

これに対して江藤は、大江の「他者」なんてしょせん読者をギョッとさせるような「化け物」であって、現実に照応するものは存在しない。江藤自身の「他者」というのは、たとえば漱石が「道草」で描いたような「細君」、大江「万延元年」なら「蜜」と「妻」との関係、それこそが「他者」というものだとうことらしい。

なるほど、「固有名」といい、「他者」といい、これらの主題はのちに柄谷が、両者絡めて、深めてゆく主題である。ひょっとしたら、ここにその淵源があったのかもしれない・・・・

ところで、1971年当時に柄谷が両者を評した評価はどうかというと、まず大江については

「氏の現実認識は、概念のレベルとしてはたんに「平和と民主主義」を説く進歩派イデオローグにとどまる・・・・概念としての了解が不徹底で低水準であるとき、どんな過激な想像力も知覚も、ただそのレベルに応じたものしか見出すことができないのである」

「このタブー(民主主義の有効性ということか、引用者の注記)がとりはらわれたときはじめて、大江氏の「想像力」は、見てはならぬものをものぞきこむことができるはずだ。少なくとも小説を書くとき、大江氏は「見てはならぬもの」を見てしまわざるをえない。私が氏を信じるのはそのためであるが、にもかかわらず、そこでもタブーの作用によって萎縮させられてしまっている」

大江に期待しているだけにそれが「歯がゆい」のだ、とそういうのは、江藤が大江に寄せる当時の認識と期待に同じであるだろう。

この当時の柄谷は江藤を追いかける立場であり、実際、親しく付き合いもしていただろう。

その江藤に対して柄谷は、

「「公」から切断されてしまった「私」の世界の極限には何が見えてくるか・・・・小林秀雄には「自然」が見えた。江藤氏がそこに見出したのは、「神」ではないが、「現在をこえる時間がある」という漠とした感覚だったにちがいない」

と書いている。これは先の大江と江藤の対談では「永遠」という言葉で言われ、それについて江藤は、

「命をむなしゅうする対象」が「ぼくの心の中にはっきりある。何であるかは言わない」「死を栄光化するというのは三島さんみたいでそうは言いたくないけれども」
と言っていた。

(注)これは筒井康隆全集に寄せた大江の解説にあるそうだけれど、このあたり、大江の読者に対する挑発的な文体については、以下が参考になる・・・・というより、むしろ端的に、おもしろい。

・蓮實重彦×筒井康隆「同時代の大江健三郎」群像201808

(追記)この文章を書いた数週間後、こんな本が書店に並んでいた。

片岡真伊「日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題」

博士論文を書き直したものらしいが、タニザキ・カワバタ・ミシマのアメリカでの出版事情を詳細に調べたものらしい。前書きをさっと読んでみると、大江健三郎の発言が引用されている。なるほど、翻訳本は結構操作されているわけだ。